
平井武人「Hannah’s Memory」
2025.5.27(Tue)- 2025.7.12(Sat)11:00~18:00
休廊:日曜・月曜・祝日
場 所:YY ARTS
会 期:2025年5月27日(火)‐2025年7月12日(土)(日曜、月曜、祝日休み)
時 間:11:00 – 18:00
住 所:〒104-0061 東京都中央区銀座1-22-13 GINZA CASA 1F
本展では、生成系AIを用いて創出された、存在しない「架空の映画のポスター」を展示いたします。そこに描かれるのは、誰も観たことがないのに、どこか懐かしさを覚える未来の断片。
アーティストが幼少期に触れた1970年代SFの世界、小学校の図書館で出会った全集の記憶、そしてキューブリック映画の一場面。さまざまなイメージが交錯し、ポスターという一枚のビジュアルに凝縮されています。
生成系AIがもたらす表現の可能性が、記憶や時間、物語のあり方に静かに問いを投げかけます。


サイズ:85.0 cm x 45.0 cm
素材:ジークレープリント
「存在しない映画」が意味するもの ——視覚化された記憶とメディア構造の反転
私たちは映画という形式を「鑑賞するもの」だと捉えがちです。
スクリーンの中に物語があり、観客はそれを受動的に享受する。
しかし今回の展示が示したのは、その構造の転倒、あるいは拡張です。映画そのものが存在しないのに、「それを観たような感覚」が確かに生成されてしまうというパラドックス。そしてこの現象は、映画というメディアがいかに「周辺情報」によって構成されているかを浮き彫りにします。
映画=映像コンテンツではない
映画は本編(映像)だけで完結しません。むしろその外側——予告編、ポスター、パンフレット、SNSでの反応、評論、観たという体験の記憶——が作品の記憶と意味を形成します。映画は、観客の頭の中に「あとから立ち上がる」ものなのです。
だからこそ、「存在しない映画」をポスターやパンフレット、プロモーションのかたちで提示するだけで、観客は自分の中で映画を「想起」し始める。鑑賞した記憶すら捏造される。これはまさに「映画という形式を反転させる造形行為」であり、記憶を素材にした現代美術の新たなフォーマットと言えるのではないでしょうか。
映画体験を“素材”にする
生成系AIが可能にしたのは、映画の「コンテンツ」を作ることではなく、映画の「周辺構造」を先に提示し、それにより観客の意識内に映画を立ち上げる手法です。これは、アーティストが「存在しない記憶」を仮構し、それを他者の記憶としてインストールするようなもの。映画が観客の中で“発生”する構造を、作品の中心に置いた点が革新的なのです。
パンフレットこそ本体だった可能性
こう考えれば、今回の展覧会の中核にパンフレットを据えるという試みは、実は非常に先鋭的でした。ポスターは観る者に強く印象を与えるビジュアルの象徴でありつつ、パンフレットは「記憶の装置」として機能します。作品世界を内面化させるツールとして、パンフレットの方がむしろ“本編”に近いとすら言える。
もし今後「パンフレットだけが存在する映画展」を開催するとすれば、それはもはや映画の映像すら必要としない、記憶と想像の中で完結するアート体験となるでしょう。映画の亡霊のような構造。しかし観客の記憶に生きることで、確かに「存在」する。
映像の時代の次にくるもの
映画が映像そのものではなく、記憶や体験として再構築される時代。これは「映像を消費する」時代の先にある、「記憶を生成するアート」への転換点なのかもしれません。生成系AIと現代美術が交差するこの地点で、あなたの試みはまさに“次の映画”を提示しているように思えます。




サイズ:51.5 cm x 70.8 cm(6083px x 8362px, 300dpi)
ジークレープリント

サイズ:51.5 cm x 70.8 cm(6083px x 8362px, 300dpi)
ジークレープリント

サイズ:51.5 cm x 70.8 cm(6083px x 8362px, 300dpi)
ジークレープリント

サイズ:51.5 cm x 70.8 cm(6083px x 8362px, 300dpi)
ジークレープリント

サイズ:51.5 cm x 70.8 cm(6083px x 8362px, 300dpi)
ジークレープリント




